保育や子育ての話の中で、「個性」という言葉をたくさん目にしますが、僕にはどうにも、それらが単なる美辞麗句にしかなっていないように思えて仕方がありません。
「個性を伸ばす」
「個性を大事に」
「個性の尊重」 など。
「個性」という言葉を使って子育てを語る人は多いですね。保育者のみなさんは、こうした「個性」と聴いてどんな風に思い浮かべますか?
おそらく、まず考えるのは「個性を伸ばす」という言葉のポジティブなイメージではないかと思います。
その子のなにか良い部分を見て、そこを認めたり褒めたりすることで子どもの成長に寄与していく。こういうことを、多くの保育者は考えると思います。
この方向で「個性」を考えることもたしかに間違いではないですが、しかし保育や子育ての本質からすると、この理解では足りません。
「個性」について、保育をする人にはぜひ知っておいて欲しいことがあります。
個性は長所ばかりではない
子どもは、産まれたそのときから、既にさまざまな個性を持っています。
「よく泣く子、泣かない子」「よく寝る子、寝ない子」「よく食べる子、食べない子」「よく笑う子、笑わない子」「人見知りをする子、しない子」。
ところで、僕はしばしば、「個性」と「特技」が混同されて考えられているのではないかと思っています。
習い事に通って身につけるような類いのことは、どちらかというと「特技」。もともとその子に備わっている「個性」とは違うことなのです。
もし、その子の「個性」が長所や美点だけであるならば、保育者はなにも苦労しません。
それならば、とりたてて専門性がない人であっても、その子を許容的、肯定的にとらえてあげることができます。
しかし、保育や子育ての中で出会う子どもの「個性」とは、実のところ圧倒的に、その子の短所や弱さ、うまくできないところなどのネガティブな部分なのです。
このことは、「個性」という言葉を長所や美点としてとらえる向きが強いので、一般的には見過ごされがちなことです。
短所を受けいれることが、自己肯定感をはぐくむ
保育者はついつい、目の前の子どもになにかの欠点やできないところがあると思えば、善意や職業的な使命感から、「直してあげなければ」「よくしてあげなければ」と考えてしまいます。
そのアプローチにより、その子が成長することももちろんあることでしょう。
しかし、その関わりがベストでない場合があることを知っておく必要があります。
子どもの成長は、なにも目先の行動ひとつひとつの「できる、できない」だけではありません。
「できる、できない」「成功・失敗」とは、別のところで、心の奥にある「子ども自身がものごとに取り組もうとする意欲」やモチベーションを、保育者は丁寧にみとっていかなければいけないのです。
例えば、保育をしていると必ずといっていいほど「少食」という個性を持った子に出会います。
たいていの保育者は、なんとかその子に少食を克服して、普通に食べられるようになって欲しいと願うでしょう。
そのため、中には「残してはいけません」「ちゃんと食べなさい」「頑張りなさい」といった、子どもにプレッシャーをかける方向で関わる人もいます。
逆に、褒めたり、おだてたり…あの手この手で食べられるようにしたい、と関わる保育者もいますよね。しかし、子どもにプレッシャー的に関わろうとも、優しく関わろうとも、その子がその保育者からもらっているメッセージは実のところ同じ。
「ああ、たくさん食べられない自分はダメだと思われているんだな……」
と思っているのです。
つまり「食べられるようにしてあげよう」という関わりを、最初からすれば、その子は否定のメッセージをもらうことになるのです。
たとえその子がたくさん食べられるようになったとしても、こうしたアプローチでは、自己肯定感までは伸ばしてくれません。
その子はその大人の期待に応えるために「頑張った」にすぎず、自分の自発的な意欲によって成長したわけではないからです。
個性の尊重=その子の欠点も含めて、ありのままに受け止めること
このように、保育で出会う「子どもの個性」とは、圧倒的にその子の欠点なのです。
ですから、「個性の尊重」という言葉を考えたとき、
それは本来「その子の欠点ですら、ありのままに受け止めてあげること」を意味します。
もし、保育者のみなさんがそのことを理解し、保育実践でもその気持ちをもって子どもに接することができるようになったなら。
「子どもが頑張ってできたこと」や「子どもを頑張らせてできたこと」ではなく、子どもが自身の意欲やモチベーションから自然な成長を遂げ、屈託のない達成感を味わっている姿を見ることができるでしょう。
「できる自分」ばかり求められる子どもの辛さ
繰り返しになりますが、保育で出会う子どもの個性とは、一にも二にもその子の「できないところ」なのです。
いま、そのことを保育者が明確に理解し、それを踏まえて子どもに関わっていかなければ、子どもが健全に育たないかもしれないところまで来ています。
現在、早期教育に多くの人が感心を持ち、ブームにもなっているように、多くの保護者が我が子に「できるようになること」を求めて子育てをスタートします。
逆に、「子どもが健康でいてさえくれればそれでいい」などと、あっけらかんと子育てをとらえている人は多くありません。
つまり、現代の子どもたちは「できる自分」ばかりを求められ、「できないありのままの自分」をなかなか受け入れてもらえない、といった状況にあるのです。
そうした中、保育者が子どもの「できない姿」を、その子のありのままの個性ととらえて、否定せず受け止めてあげられるかどうかが、その子がこれから人生を歩んで行く上でとても大きな意味を持つかもしれないのです。
子どもの「できないところ」こそ受け入れよう
「できない自分ですら受け止めてもらえた」と思えたとき、子どもは大きな自己肯定感を感じることができます。
それは、これからの人生のさまざまな場面において、ものごとに挑戦したり、乗り越えていこうという意欲・モチベーションとなっていきます。これが、ものごとをやりぬく力といった、いわゆる「非認知的能力」の土台となるのです。
一方、逆にその子が、もし家庭や学校で「○○できるようにする」という関わりばかりをされて、ありのままの自分の個性を受け止めてもらえなかったとしたら。そういった人生を前向きに歩んでいけるような「生きる力」を育てることができないかもしれません。
だからこそ、こうした力を保育士が育ててあげられるかどうかは、目先の「○○をできるようにする」ということよりも、はるかに大きなことなのです。
保育のプロとして子どもに関わる人たちには、ぜひこのことを覚えておいてもらいたいと思います。
次回は、今回のことを保育実践につなげていく具体的なアプローチの仕方を見ていきます。
プロフィール
保育士おとーちゃん(須賀義一)
1974年生まれ。大学卒業後、男性としてはまだ珍しかった保育士(当時は保父)資格を取得する。
2009年、保育士としての経験などを元にブログ『保育士おとーちゃんの子育て日記』を開設。
現代の子育てに合った具体的な関わり方を伝えつつ、多くの人からの子育ての悩み相談にも応える。
著書に『保育士おとーちゃんの「叱らなくていい子育て」』『保育士おとーちゃんの「心がラクになる子育て」』(ともにPHP研究所)など。
東京都江戸川区出身、墨田区在住。一男一女の父親。