今回からは保育の専門性について、具体的な行動に視点をあて、みていきたいと思います。
保育者が専門性を身に着けるための学びにも、いろいろあります。理念的なものや、知識的なもの、スキル的なもの。このどれも大事ですが、実は目に見えないところにももう一つ大事なものがあります。それは、保育者の心理的なものです。
ここを忘れてしまうと、どれほど教科書的なことや立派な理念を学んでも、ちっとも保育がよくならない、ということになってしまいます。
保育は人と人との関係にその多くがありますので、学んだことは常に「自分」というフィルターを通って表れます。つまり、立派なことを学んでも、その人の心理や考え方次第で、表に出てくるものが変わってしまうということなんですね。
これまでの保育界は、こうした心理的な部分を「子どもを大切に」「愛情を持って」といった感情論や、精神性で補おうとしてきました。もちろん、それで健全に機能していればいいですが、こういった感情論はあいまいなため、解釈しだいでどうとでもなってしまいます。
これでは保育士の専門性と言えるようなものにはなりきれません。それどころか、ともすると、こういった「精神論や感情論」が保育者に献身や自己犠牲を求めるものになり、その考えが職場に蔓延する結果、前回までのコラムでお伝えしたような職場ハラスメントの温床ともなってきたのです。
だから、このような保育士の心理や、どういう考え方をするのか、といったことはとても大切なんですね。
「待つ」考え方と保育の専門性
保育者の考え方で重要な一つが「待つ」ことです。
「待つ」といってもいろいろあります。多くの人が真っ先に思い浮かべるのは、子どもが自分のペースでなにかをしているのを大人がそれに合わせて待つという、「行動を待つ」ことでしょう。
このケースも、子どもの自立に関わることであり、その待つことの重要性と、「ただやみくもになんでも待てばいいものでもない」ことから、重要なポイントですが、今回のテーマである「保育者の心理面」のお話での「待つ」はこれとは別のものです。
では、なにかというと、それは子どもの「成長を待つ」ということです。
大切なのは、子どもの成長を待つことができるか
例えば、子ども同士がケンカをしてしまったときを考えてみましょう。「ごめんなさいって言おうね?」「はい、仲直りしようね?」など、保育者がそこに介入して、取った遊具を返させたり、謝らせたり、仲直りさせたりといったアプローチをしていませんか。
このような関わりは保育以前に、一般家庭の子育ての中ではごく普通になされていることであり、それを保育の中でしているところも少なくありません。
子どもの成長を待てていないケース
ですが、僕はこうしたアプローチはプロの保育者としては適切なものではないと考えます。その理由は、この保育者が介入してモノを返させたり、謝らせたりといったアプローチは、子どもの成長を「待てていない」端的なケースだからです。これは、保育者が「(大人から見て好ましい)結果を、無理に作り出している」にすぎないのです。
もちろん、当事者の保育者はトラブルの無いように、と誠実に動いているわけです。しかし、現実にはこのようなアプローチをしても子どもは成長していけません。それどころか、これは実際には、「大人の介入がなければトラブルの収拾ができない子」を作り出している関わりなのです。
子どもの成長の機会を奪ってはいけない
他にもこんなことがあります。2歳児が思い通りにいかないことがあって、泣いていました。保育者がそれを見て、良かれと思ってその子をあやして泣き止ませようとします。
どうでしょうか?多くの人が、日常の中ではほとんど無意識に何気なくやっていると思います。むしろ、それをしないと「冷たい保育士ね」と上司や同僚に非難されたといった話すら耳にします。
しかし、こうしたアプローチは、親切ではあるけれど専門的ではないかもしれません。というのも、それは子どもの成長の機会を奪うことになっている可能性があるからです。
成長につながることは、子ども自身が経験していく必要がある
どういうことかというと、子どもには自分で乗り越えられることと、そうでないことがありますね。子どもの成長の姿は、乗り越えられないことがたくさんあるところから出発して、だんだんと多くのことが乗り越えられるようになっていきます。でも、そのためには成長につながることは自分で経験していなかければなりません。
もしかすると、その2歳の子に直接介入しなくとも、保育者があたたかく遠目で見守っているだけでも、その子は乗り越えられたかもしれないのです。そのためには、一見ネガティブと見える状況があったとしてもそこに手を出さず「待つ」姿勢が、保育者の専門性として必要なんですね。
時には大人から見て好ましくない行為も必要
子どもが成長するためには、さまざまな実地の経験が必要です。その中には、一見大人から見たとき好ましくない行為も含まれています。
大人は、自身の先入観から、外から見て好ましいものばかりを成長のための経験だと、とらえがちです。逆に、好ましくないことを成長のための経験と理解することには、心理的なハードルを持っています。
子どもの成長を待つという専門性が理解されていない
好ましくないことであっても子ども自身に経験させてみる、その結果、自発的な成長にいたるというのが、本来子どもの成長にとって必要なことなのですが、それをできる保育者はあまり多くありません。
それは、この「子どもの成長を待つ」という専門性が、理解されていなかったり、理解されていても実際にやってみることが難しいためです。
立派な結果だけでなく 子ども自身の本当の成長を待とう
私たち保育者は、立派な結果を作り出すのではなく、立派でなくてもいいから子ども自身の本当の成長を待ち、そこを一緒に喜んでいくことが本来の仕事なのだと思います。
この「待つ」ということを専門性として受け止められるようになると、さらに他の何気ないのだけど実は重要な専門性が見えてきます。次回はそれについてまとめてみます。
プロフィール
保育士おとーちゃん(須賀義一)
1974年生まれ。大学卒業後、男性としてはまだ珍しかった保育士(当時は保父)資格を取得する。
2009年、保育士としての経験などを元にブログ『保育士おとーちゃんの子育て日記』を開設。
現代の子育てに合った具体的な関わり方を伝えつつ、多くの人からの子育ての悩み相談にも応える。
著書に『保育士おとーちゃんの「叱らなくていい子育て」』『保育士おとーちゃんの「心がラクになる子育て」』(ともにPHP研究所)など。
東京都江戸川区出身、墨田区在住。一男一女の父親。