前回、前々回に引き続いて、保育をめぐるハラスメントの話題のまとめを書きたいと思います。保育士さんたちの話を聴いていると、職場でハラスメントを受けている人がとても多いのを感じます。ちなみに、僕自身も現役保育士時代、複数のハラスメントを受けてきた経験があります。
ハラスメントがなくならないと、保育の質は上がらない
保育施設は、子どもを尊重し健全に育てていくところなのに、そのようなことが起こるのは大変残念なことです。どんなに優れた人であっても、ハラスメントを受けながらでは、自分の力量を十分には発揮できません。保育施設に限らないことではありますが、ハラスメントはなくしていかなければなりません。
このことは、保育の質を上げるためにも欠かせないことだと僕は考えています。
実際問題として、ハラスメントが横行している職場で、保育の質を上げるための勉強を多少積み重ねたところで、本質的な保育の質は上がりません。(表面をとりつくろって、保護者からのウケを良くするようなことは可能ですが・・・・・・)
どうして、保育の仕事ではハラスメントが起きやすいのか
僕ははっきりと指摘したいと思いますが、保育の仕事はハラスメントを生みやすい体質を持っています。ここを認識して、それを乗り越えるようなスタンスを、職員一人ひとりが持てていないと、しばしば保育の職場はハラスメント体質に染まるリスクがあります。
なぜ保育施設ではハラスメントが起きやすいのでしょうか?
それは、多くの人が持つ子育て観、つまりはこれまでの日本の子育てそのものにたくさんのハラスメントが含まれているからです。そして、 保育というのは、保育者自身の「子育て観」に強い影響を受けるものなので、保育施設ではハラスメントが発生しやすい、というわけです。
誤解を恐れず極端ないい方をすれば、一般的な子育ての中で、人は山ほどのハラスメントを子どもにしています。他のさまざまなハラスメントがそうであるように、それは無自覚に行われています。
例えば、「言うことをきかない子は置いていくぞ」「言うこと聞かないならもう連れてこないぞ」「ご飯を残す子はうちの子ではありません」「悪い子はどこどこに閉じ込める」、このようなことばは、一般的な子育ての中で、ともすると普通に使われています。
こうした子育ての態度をハラスメントだというのは、大げさだとお考えの人もいるかもしれませんね。
しかし、仮にこれに類することを職場で大人にしたとしたらどうでしょう。ノルマが達成できないからと、罰を与えられたり、その人のデスクを取り上げたり、もしくはそれを示唆するだけでも、これはパワハラと呼ばれます。
僕は、大人にやってはいけないことは、子どもにだって許されるものではないと思います。
「しつけ」目線の子育てがハラスメントの原因
子育てがこのようなハラスメント傾向を帯びてしまう原因は、それが「しつけ」で考えられていることにあります。
「しつけ」とは普通に使われる言葉ですが、意外にもその定義はあいまいなもの。ひとつ言えるのは、「◯◯すべき(規範)に子どもを当てはめること」ということです。
つまり、まず、当てはめるべき規範、正しい(と大人が考える)姿があり、そこに子どもを押し込んでいこうとするのがしつけですね。最初は優しく、だんだん厳しく。そのうち怒る・叱る、最後には無視や疎外といった「存在の否定」や、体罰を使ってでも、子どもを「正しい姿」にしようとします。
素直に当てはまってくれる子であればいいですが、実際には子どもは多様な存在なので、なかなか当てはまってくれない子がいます。そのとき大人の側には、この子は規範(モラル)に反しているという理由で、悪意なく不適切な関わりが引き起こされます。これはモラルハラスメントです。
無意識に「しつけ」の目線から相手を非難していませんか
こうした「しつけ」を第一で考えているような価値観で保育にのぞむと、ハラスメント的な対応になってしまうのです。こんなケースがありました。
ある保育園の園長が、なかなかおむつが外れない2歳児の男の子に、「いつまでもおむつしていたら、おちんちん切っちゃいますよ」と言ったのです。そして、それを告げた上で、その親には「家庭でもトイレでできるようしっかり見て下さい」と伝えました。もちろん、この「しっかり見て下さい」という言葉には、「あなたがしっかりしていないから、子どものおむつが取れないのだ」という非難の意が込められています。
その園長の頭の中では、「2歳でおむつをしているのは恥ずかしいこと、良くないこと、正しくないこと」といった考えがあったのでしょう。それゆえに、「その子が嫌がることを言ってでも、おむつが取れた状態にすることは許される」と無意識に判断しているのだと思われます。
しかし、これはあきらかに子どもに対するハラスメントです。
また、その親に伝える言葉でも、言外に「あなたが甘やかすから子どものおむつが取れないのだ」と伝えてしまっています。これは、保護者に対するモラルハラスメントにほかなりません。
子どもに威圧的な園は、大人=保育者にも過ごしにくい職場
「しつけ」とは、その人が主観的に「正しくない」と思うことに、「しつけ」というモラルを盾にとって相手を責めることができるものなのです。(モラルハラスメントの構造)
だからこそ、保育者が無自覚に「しつけの保育」をしていると、そのハラスメントを含んだ、しつけの関わりばかりが上達してしまい、いつのまにか他者に対してもハラスメントをするスタンスを身につけてしまいます。
以前このコラムでも「なめられない保育から脱却しよう」という記事を書きましたが、この「子どもになめられるな」という考え方にもそれが端的に表れていますね。
保育者は「なめられないために」いつの間にか、子どもに対して威圧や、意地悪や、冷たい関わり、子どもの心に揺さぶりをかけるような関わりを習得してしまいます。
実際に、保育者から職場でのハラスメントの相談を受けるケースの多くの園で、この「子どもになめられるな」式の保育をしていました。
そして、子どもにハラスメントまがいの保育をしている園は、同僚の保育者にもハラスメントが横行する職場となってしまうのです。その根っこは同じですね。
根っこにある保育の質や専門性への理解が必要
保育士とか 教師というのは、元々、子どもに対して「先生」として上下関係が強調される仕事です。周囲の人から、無条件に「先生」として呼ばれ、扱われる仕事って、実は社会一般から見るとかなり変わったケースです。
だから、他者に対して正しいこと(モラル)を指摘することで、他人より優位に立ちたいという人や、そこで自己の承認欲求を満たそうとする人を惹きつけやすい、といった面もあるのです。
これらのことがあって、保育の職場においてはハラスメントが横行したり、職場そのものがハラスメント体質に染まってしまう傾向があります。
こうしたハラスメント体質におちいってしまう施設は、とりもなおさず保育の質や専門性の低さを露呈していると言えます。
子どもの自主性・主体性などを理解していないために、支配や威圧、ごまかしや子どもだましの保育を積み重ねてしまう。子どもの尊重や子どもの人権といったことを適切に理解していないために、職場での対人関係においても大切なことが実践できない、という構造になっているのです。
本質的に保育の専門性を高めることが大切
見てきた通り、保育の職場はハラスメント体質になりやすい傾向があり、その背景には「子育てはこうあるべき!」という、強すぎる規範意識があるのでした。
本来、保育のプロである保育者は、自分の中にもあるかもしれない、こうした意識を客観的に見つめなおし、乗り越えなければいけません。「私はこういう育ち方をしてきたから、保育の中にも出てしまっているかもしれないな」というように。このように自身自身を見ることができるのも、保育の専門性の一つなのです。
逆に言えば、そうした専門性を獲得している保育者が多ければ、園としては、そう間違った方向には傾きにくいもの。 施設全体として保育の専門性が高ければ、たとえハラスメント体質を持った職員がいたとしても、それを自ままには出しづらくなりますからね。
この稿の始めに、ハラスメントが横行する職場では、多少のことでは保育の質は上がりにくいと述べました。小手先の学びではなく、各自の保育観、ひいては子育て観を見つめなおすような学びなおしが求められます。ハラスメント体質にしないためには、「職場全体」で、本質的に保育の質を上げようとする姿勢を作っていくことが、大切なのです。
プロフィール
保育士おとーちゃん(須賀義一)
1974年生まれ。大学卒業後、男性としてはまだ珍しかった保育士(当時は保父)資格を取得する。
2009年、保育士としての経験などを元にブログ『保育士おとーちゃんの子育て日記』を開設。
現代の子育てに合った具体的な関わり方を伝えつつ、多くの人からの子育ての悩み相談にも応える。
著書に『保育士おとーちゃんの「叱らなくていい子育て」』『保育士おとーちゃんの「心がラクになる子育て」』(ともにPHP研究所)など。
東京都江戸川区出身、墨田区在住。一男一女の父親。