未来を生きる子どもたちにいま、そしてこれから保育者ができることは何か。
保育教育研究の第一線に立つ研究者の方々にきく、保育士バンク!連載企画第1回。『いま大きく変わる保育の質』について汐見稔幸教授にインタビュー。前編は『子どものためにいまできる保育』について、エピソードとともに保育者が子どもの育ちとどうかかわっていくのか、丁寧に迫っていく。
2018年。10年に一度の保育所保育指針の改定が行われた。厚生労働省が編集した解説書は、改定前ものと比較すると、厚みは約1.75倍に及ぶ。
3法令(保育所保育指針、幼稚園教育要領、幼保連携型認定こども園教育・保育要領)の同時改定。そして2020年から始まる教育改革。
いま、保育・幼児教育の何が大きく変わろうとしているのだろうか。
今回は、保育所保育指針改定をとりまとめた白梅大学名誉教授、汐見稔幸先生にインタビュー。保育の質を向上させていくために、保育者がいまできることとは何か、汐見稔幸先生が考える、保育者の仕事の意味とは。
取材で訪れたのは、東京都内とは思えぬほど豊かな緑に囲まれた、汐見先生のご自宅.。事務所がご自宅だとは知らず、玄関先で戸惑っていると、「こっちこっち。入っておいで」 と、家の中から優しい声が。
声をたどって家に上がると、さまざまな書物がうず高く積み上げられた本の山の中から、汐見先生がひょっこりと顔を見せてくれました。
【1】保育者の仕事とは『人間の幸せ』を考えること
保育者の仕事の意味
ーーー2018年の改定で、保育所保育指針が大きく変わったと感じています。
毎日子どもと向き合う保育者の仕事は、いままでと何が変わるのでしょうか
これからは、あらゆるのものに人口知能が組み込まれ、人間が苦労してやってきたことの大部分を機械が行う『AI社会』になっていくでしょう。生活スタイルも価値観も変わる。 変化がめまぐるしい時代を幸せに生きるためには、どんな力が子どもたちには必要か。 そもそも、幸せとは何か。
それを考え続けるのが、これからの保育者の仕事なんです。
でも実は、どんなに文明が進歩しても、人間が「本当に生きていてよかった」「幸せだ」と思うことは、何十万年経ったいまでも変わっていないんですよ。
というのも、長い人類の歴史の中で、人間はずっと『3つのこと』を大事にして、生活してきたからです。
人間が大事にしてきた「3つのこと」
1つ目は、体で覚えていくこと。
体で技を覚えて、さらに技の水準を上げて上手になっていくこと。それはつまり『成長』です。
人間は先祖が編み出してきた技や文化を受け継ぎ、体に刻み覚えさせていった。
ピアノが弾けるようになる、サッカーができるようになる、絵を描いて表現できる。
そして周りに認められる経験を積むことで、さらに上手になる。それは人間にとっての『生きがい』になります。
2つ目は、とにかくみんなで考え、議論すること。
「どうしよう」と自分で考え、「こうしよう」とみんなで話し合い、実行し「できたー!」と進歩する。そうやって人は文明を築いてきたでしょう?
考え抜いた結果、パッとアイデアが思い浮かぶ。人間にとって一番『楽しい』瞬間といえます。
3つ目は、他者と豊かに関わること。
親子、夫婦、恋人、同僚、コミュニティ。
さまざまな関係性がありますが、人間はお互いの心が理解できているときは、すごく幸せを感じるんです。
でも失恋やケンカのように、相手に理解してもらえないと感じたり、少しでも関係性が上手くいかなくなると、苦しさを感じる。
だから、人間関係を上手に作っていくために、いろいろな人とどれだけ豊かに共感できる人間になるかが大事になる。
つまり人間にとっての幸せとは、『豊かな人間関係を作れるかどうか』なんです。
AI社会を幸せに生きるための力
ーーー確かに、成長することやアイデアを出し合うこと、豊かな人間関係を築くことは、どんな時代でも、きっと変わらず幸せを感じられることですね。
でもいま、人類がずっと大事にしてきたこの3つを『鍛える場』が、生活の中からどんどん減っている。
未来のAI社会では、体を動かさなくても、考えなくても、スイッチを押せばすべてが完了する。なんでも簡単にできてしまうから、体で生きがいを感じられないですよね。
では、人間はどうすれば幸せでいられるのか。
『体で覚えていくこと』『アイデアを出し合うこと』『豊かな人間関係を作ること』。 機械ができないこの3つのことを、面白がって生活できる人間が、幸せに生きられるんじゃないかな。
生きるための最低限の仕事は機械に任せて、人間はその上を楽しむ。
物事を面白がる力がないと、人間はAI社会に支配されてしまうでしょう。
『幸せを自分で探し出す子ども』を育てる
ーーーずっと大事にしてきた3つのことを鍛える場が減ってきているいま、保育者として何をすべきなのでしょうか。
保育者は、3つの大事なことを子どもたちが大好きになるように、保育をするのです。
実は、3つの大事なことを育てる取り組みは、いままでの保育・幼児教育でかなりやっています。
いままでのやり方を急に変えたいわけではないし、特に難しい保育をしよう、というわけではないんです。
でもこれからは『育てる』というより、子どもが3つのことを『大好き』になるように保育をしてほしい。『大好き』になるためには、子ども自身が「やりたい!」と思って、自発的に行動したり、工夫することが大事になります。
【2】子どもの『やりたい!』を引き出す環境作り
子どものレベルに合わせた環境を作る
ーーー子どもたちが自発的に行動したり工夫するために、保育者は、どのようなスタンスで幼児教育・保育を行っていけばいいのでしょうか。
保育者は、『子どもは教育されるから育つのではなく、自分で自分を育てようとする力をもっている』ことを知っておいてほしい。
現代においては、技術の発達により、最新の測定器が開発され、赤ちゃんの行動から脳のどの部分が働いて、何を考えているかなど、以前よりも分析したり研究できるようになりました。
例えば、いままで赤ちゃんは目が見えないとされてきましたが、焦点を絞るのがまだ難しい段階なだけで、いまではだいたい0.01くらいの視力があることがわかっています。
いま、ロボット学、小児科医、心理学者、さまざまな分野の研究者たちが赤ちゃんの研究を進める中で、共通して認識していることは『赤ちゃんは教育されるから育つのではなく、自分で自分を育てようとするから育つ』ということです。
つまり人間は、人に教えられ指示通りできたからといって、伸びるわけではないんです。
buritora/shutterstock.com
ーーー「自分で自分を育てようとする」とは、子どもたちのどのような姿や行動からわかるのでしょうか。
子どもは、自分のレベルの少し上の力が必要だとわかると、自分で挑んでいくんです。 例えば、10の力がある子どもが、周りを見て「あれ面白い!」と思う。
そして、「あの面白いことをやるためには、11か12の力が必要なんだな」とわかったら、自発的にやっていきます。ところが、20の力が必要だと思うとやらないんですよね。
ーーー「面白そう!」「あれならちょっと頑張ればすぐにできそう!」と思うことが、自発性を刺激するきっかけなんですね。
そうですね。
でも一方で、『何が面白いか』は子どもたちが自分のレベルに合わせて考えるから、保育者が全部設定できないんですよ。
だから子どもたち全員が一斉に同じことをするのではなく、自分のレベルに合ったやりたい活動ができる空間を作っておくのが大切なんです。
遊び道具がいっぱいある空間、本を読みたい子のための本が読める場所、サッカーをやりたい子のための外で自由に遊べる場所。
そんな環境を作ると、子どもは勝手に動き出して、不思議なことに、いまよりもうちょっと上のレベルに行きたいと思う。
必ず上のレベルに行きたがるっていうのは、人間の本能かもしれないですね。
子どもを観察し、遊びの先を予測する
ーーー子どもが少し上のレベルに行きたいと思う環境を作るために、保育者はどのようなことを意識すればいいのでしょうか。
子どもがもっと伸びたい、もっとできるようになりたいと思う環境を作るには、保育者が常に子どもを観察して、『あの子は次はあれをやりだすんじゃないかな』と予測していくことが求められます。
例えば、いまクラスで『結ぶ』ことが流行っているとする。
「“結ぶ”を発展させて何か面白い遊びってないかしら」と連想してみましょう。
「ひもをいっぱい置いておいたら気づくかな?」
「いろいろな色のひもだったら興味を持つかな?」
というふうに、環境をいろいろ工夫する。
ようやく子どもが「色がついているひも、きれい!」と興味を持ち始める。 そこで保育者が「この紐とこの紐を結んでみようか」なんて言ったら、遊び出したりする。
でも先を予測して環境を作っても、その通りに子どもがするとは限らない。
そのあたりは、保育者としての経験が必要な部分もあるでしょう。
とにかくいろんな工夫をしてみよう、ということなんです。
もちろん「こういうふうにしたら面白いよ」と言ってもいい。
でも子どもは興味がなかったら乗ってこない。
乗ってくるんだったら、興味があるってことになる。
子どもの『心』に応答する
ーーー保育者は子どもの遊びの先を予測して、環境を作り、観察しながら見守っていくのですね。
でも保育者っていうのは、単に見守っていればいいわけではないんですよ。
見守りながら、
「この子は次に何をやりたがるのか」
「この遊びをして、どんなふうに育っているのか」
「この子はいま、こういう力を身につけたがっているのだから、全く別のことを始めるかもしれない」
というふうに、子どもの心の中で育ってるものや、次に芽生えている関心などを読み取る能力を、保育者も常に訓練して環境作りをする。
これが『応答する』ということです。
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子どもが遊びで行き詰っていることもある。
子どもは、自分の力を伸ばそうとしているんだけど、自分だけでは十分にできないことはたくさんあって、途中で投げ出してしまう場合もあるでしょう。
そういうときは、
「ちょっと手伝ってあげようか」と声をかけてみよう。
ほんの少し手助けしてあげれば、また急にやりだすときもある。
もちろん黙っているだけのほうがいいときもあります。子どもがイライラしているときとかね。
でも、本当に何もやらないときは、興味をもたせるために「先生遊んでみようかな~」なんて言いながら、スッとモデルを見せてあげましょう。
このあたりも、保育者としての経験が必要な部分でもあります。
同じ遊びをやりこめる環境も大事
ーーー子どもの『心』に応答するとありましたが、子どもの興味は日々移り変わると思います。毎日変わる興味に合わせて、環境は変えていくべきなのでしょうか。
全然違うことばかりやってしまうと、子どもにとって育ちにくい力もあるでしょう。 ひとつの遊びを続けてレベルを上げていく、そのための環境を保育者が作ることもできます。
例えば最近、毎日のように紙飛行機飛ばしをやり続けている子どもたちがいる。
そこで保育者は、
「誰よりもよく飛ぶ飛行機を作りたい!」
「もっとかっこいい飛び方をする飛行機は作れないかな?」
「長く飛ばし続けるにはどうしたらいいんだろう?」
と子どもたちの中で紙飛行機への興味がさらに高まっていくだろうと予測する。
だったら、明日は『紙飛行機の作り方』という本を机に置いておこうか。いろんな厚さの紙を用意しておこうか。
子どもたちは、保育者が設定した紙飛行機作りを思う存分やりこめる環境で、自分なりの紙飛行機を試行錯誤ながら作っていくのです。
そうやって、毎日いろいろやってるけど、ひとつ同じ遊びや活動を続けてレベルを上げていく。
そのための環境を作るということも大事なんですよ。
遊びを途切れさせない工夫
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ーーー遊びを毎日続けて、もっと深めていきたい。しかしいまの保育園や幼稚園だと、お片づけの時間があり、遊びが途切れてしまう場合もあると思います。解決策として、いいアイデアはありませんか?
「遊びの続きをやりたい」という子どものために、「翌日に続きから始めればいいんだよ」という連続性を保証するには、ちょっとした工夫が必要です。
特に保育園では、ひとつの部屋を食事に使ったり、午睡をしたりするのに使うから、確かに難しいこともあるよね。
ある保育園では、“輪っか”を利用しています。
子どもたちが午睡の前に積み木でお城を作った。明日は続きをするんだ、という子どものために、「これは壊さないで」とわかるよう、積み木を“輪っか”で囲んでおく。
そうしておけば、次の日はそこから始められる。子どもが「やっぱり今日はもういいや」となったら、輪っかを外せばいい。
遊びを途切れさせない工夫をしている幼稚園や保育園は、たくさんあります。
【3】『3つの大好き』を育てるための手掛かり
ーーー子どもたちに3つのことを大好きになってもらうためには、一人ひとりに寄り添った環境作りが大切ですが、同時にその難しさも感じます。日々の保育で何か手掛かりになるものはないでしょうか。
これからの保育は、設定した環境で子どもたちが本当に遊んでいるのか、『観察』し『記録』することがとても大事になってきます。
しかし、毎日たくさんの子どもが、いろいろな場所でさまざまな遊びをしていたら、詳細なことや大事なことは、見逃してしまったりすぐに忘れてしまうでしょう。
いままで通りの記録の方法では、『遊びの記録』がまったく何も残っていないということが起こりうる。それじゃあ困ってしまう。
そんなことがないように「デジカメとICレコーダーもって保育しよう」って僕は提案しているんです。
筆記スタイルにこだわる必要はないんです。
つまり、子ども一人ひとりに寄り添った、遊び中心の保育にするためには、いまの記録のやり方を全く変えていかないといけないんだよね。
「あ、これいいシーン」カシャ!
「あ、これ次に活かせそう」カシャ!
というふうにどんどん撮る。
子どもが午睡している間に、撮った写真をぱぱぱぱっと貼り付けて、一斉に並べながら「これは何時ごろで、これはこの場面」というふうに思い出す。子どもたちが1日の中でどんなことで遊んで、どんなことに興味を持ったか記録していくのです。
観察や記録をに基づいて、環境作りを評価しやり直していく。そういったサイクルが保育者の経験になっていく。
だから、もっとデジカメやICレコーダーなどを有効に活用して、子どもたちの記録を作っていきたいですね。
【4】保育者は難しい。だから最高に面白い
ーーー保育者の仕事とは、人間の幸せについて考えること。子どもたちが「面白い」「幸せだ」と思うことを、自分自身で見つけられる力を育てるために、保育者自身が多くの経験をし、保育の質を磨いていく必要があるのですね。
だから、保育者というのは一人前にできるようになるまで、随分時間がかかりますよ。
決められた教材が用意されていて、保育者は教え方を練習する、というような明確な指導法がないんです。
『子ども』という人間の気持ちをしっかり読み取り、次にやりたくなるのは何かを予測していろいろな環境を作っていかないといけない。
同じことをAちゃんにやったらすごくノッてきた、Bちゃんにやったらまったくノラない。保育では、しょっちゅうあることじゃないですか?
こんなにも難しい仕事はないかもしれない。
だからこそ、ある意味、保育者が一番人間をよくわかっているよね。 そうならざるを得ないくらい難しいけれど、面白い仕事でもあるのです。
【前編・終】
保育者の仕事の本質と、保育者自身が保育の質を磨いていく大切さや楽しさについて伺いました。
では、いままでの日本の保育や幼児教育は、どうだったのでしょうか。このタイミングで「保育の質」を大きく変える、その背景とは?
子どもの育ちをめぐる環境は、昔といまではどう変わっているのか、汐見先生のお話は中編に続きます。
<汐見稔幸先生・プロフィール>
1947年大阪府生まれ。 2018年3月まで白梅学園大学・同短期大学学長を務める。
東京大学名誉教授・日本保育学会会長・国保育士養成協議会会長・白梅学園大学名誉学長
保育所保育指針の改定に関する検討を行った社会保障審議会児童部会保育専門委員会委員長を務めた。
また現在、厚生労働省子ども家庭局長が学識経験者等を参集した「保育所等における保育の質の確保・向上に関する検討会」で座長を務める。
専門は教育学、教育人間学、保育学、育児学。
一般社団法人家族・保育デザイン研究所代表理事。
保育についての自由な経験交流と学びの場である臨床育児・保育研究会を主催。
保育者による本音の交流雑誌『エデュカーレ』の責任編集者を務め、『10の姿で保育の質を高める本 (これからの保育シリーズ)/汐見 稔幸 (著)中山 昌樹(著)(出版社 風鳴舎)』『さあ、子どもたちの「未来」を話しませんか/汐見稔幸 (著)おおえだけいこ(イラスト)(出版社 小学館)』などの書籍執筆や講演会など、全国を飛び回り精力的に活動している。
<取材・執筆・撮影>保育士バンク!編集部