今回は「保育上のハラスメント」について取り上げたいと思います。
これは保育現場で、上司や同僚から、不適切な保育や、子どもを傷つけたり自尊心を踏みにじる行為を求められたり、その方向で指導されたり、眼前でこうした行為を展開されるなどのことを指します。僕は、 はっきりいって、これはとても「専門的な保育」とは言えない、と思います。威圧的に言うことを聞かせるなんて、保育とは呼べないとすら思います。こうした不適切な保育に立ち向かうためにも、どうしてこんな保育になってしまうのか、そこにはどういう構造があるのか、見ていきましょう。
「子どもになめられるな」は保育上のハラスメント
このコラムでも以前、『「なめられない保育」はもうやめよう』という記事を書いて大変大きな反響がありました。まさにこうした「子どもになめられるな」「あなたが甘いから子どもが言うことを聞かないのよ」といった、子どもへの支配の強要は、保育上のハラスメントといえます。残念ながら、いま実際に多くの保育現場で起きてしまっている問題です。
これは、子どもの姿が、その場で、適応的な姿になっていないことを理由に、その担任などの保育者を責めています。
別のいい方をすると、「子どもの姿がちゃんとしていないのは、おまえの責任だ!」と責めているわけです。保育の現場でこのような指摘がまかり通ってしまうと、その保育者は大変なプレッシャーを受けることになります。
余裕のある保育ができなくなる
こういう保育現場では、子どもの姿を他の保育者から指摘されないものにしなければ、自分が直ちにやり玉に挙げられて責められてしまうわけです。
だから、その保育者は笑顔やあたたかみを持った保育などする余裕はなくなります。
威圧や冷たい態度、疎外、ごまかしや釣り、おだてなどありとあらゆる手段を用いて、子どもの姿を支配や管理しなければならなくなります。
保育上のハラスメントは「連鎖」してしまう
これを若い頃から保育の当たり前として身につけていってしまうと、保育のやり方として、子どもの意思にかかわらず効率的にまわしたり、こなすことが、「よい保育」だと誤解したまま、若手の指導係などの立場になってしまいます。そして今度は、自分よりも若い保育者に自分がしてきた(やらされてきた)ことと同様の要求をするようになりかねません。
かつて同じことを言われた人間が「あなたが甘いから、なめられているのよ。だから子どもが言うことを聞かないのだ」と別の人を責めるわけです。これは保育上のハラスメントの「世代間連鎖」とも言えるのではないでしょうか。
ここには保育の専門性などあろうはずもありません。
「なめられるな」とばかりに、単に子どもの支配を効率よく行っていくことで保育が成立するのであれば、保育の学びの全ては無駄ということになってしまいます。子どもに言うことを聞かせられるのが良い保育だということになれば、顔が怖くて、腕っぷしが強く、大きな威圧感をかもし出している人が最良の保育者ということになりかねません。
「ちゃんとしていない」という言葉に要注意
上で出した「子どもの姿がちゃんとしていないのは・・・・・・」の「ちゃんと」という言葉が、実はくせ者です。同様の言葉に「きちんと」「しっかり」もあります。
これらは、子どもの姿がどうあるべきなのか、またどうすれば適切にその姿に導けるのかを、なんの明示することもなく、単に言う人の主観、感覚だけで子どもたちや他の保育者、保護者を責める理由にできてしまいます。
「ちゃんと」「きちんと」「しっかり」、これらの言葉はハラスメントをするのにとても便利な大義名分になるのです。
「威圧」で子どもが落ち着かない園の実例
ここで少し実例を見てみましょう。
その園では、毎朝全園児をホールに集めて朝の会をすることを園長に指示されています。
歌を歌ったり、お話を聴くことを子どもたちは要求されます。
ここは、比較的小規模な施設です。子どもの総数はさほど多くないとは言え、0歳児~年長までの子どもを一同に集めての集会。
どの子も最初から最後まで満足して楽しみ、ずっと参加し続けることなど、そもそも簡単なことではありません。
静かにすることや座ること、大人の話を聴くことを子どもたちが何度も繰り返し指示されたり、勝手なおしゃべりや立ち歩きを注意されることばかりが多くなっています。
すると、それを担任たちは園長に責められます。
「あなたたちが甘いから子どもが言うことを聞かないのだ」
「月齢の低い子たちには、まだ無理があるのでは」と保育士が意見を言うと、園長は「そんなことを言うなんてあなたはやる気がないのね」と話し合いにもならず、やる気の問題にされて個人攻撃されてしまいます。
結果、そこの保育者たちは笑顔もなく、むしろいかめしい顔のまま朝の会を過ごしています。
保育士たちがそんな様子で、子どもたちが安定するはずもありません。
注意や指示・ダメ出しばかりだと、ダダやわがままが増えるだけ
子どもは保育者との信頼関係を作りたくともそれをさせてもらえず、関わりのほとんどは注意や指示、ダメ出しばかりです。そうすると、子どもたちはその精神的な負荷を、その園の中でも比較的優しい保育士や、まだあまり威圧の仕方を十分に身につけていない新人保育士などに、ダダやわがままとして噴出させます。
すると、それを見た園長や、威圧の保育が当たり前になってしまった保育士が、その保育士を「あなたは甘い」「あなたはなめられている」と責めるのです。
子どもが落ち着かない本当の原因は、威圧の保育にある
この状態は、なめられているなどといったことではありません。
子どもたちが普段、あまりに強い負荷をかけられてしまっているから、それが出せるところで、思わず出してしまっているだけに過ぎません。
だから、本当のことを言えば、問題の根っこは、威圧の保育をしている人たちが作り出しているわけです。にも関わらず、それをしていない人に原因があることとして責めているわけです。
こうした威圧の保育に原因があるにも関わらず、「私は正しい、あなたが悪いのだ」と自分のことを棚上げして結果的にハラスメントの関わりを同僚や部下にしていました。
子どもと他の保育者への「二重のハラスメント」
さて、この園のケースには二重のハラスメント構造があることに気がついたでしょうか。
「保育者が威圧的に子どもに関わる」という不適切なハラスメント的保育と、上の立場の保育者が、下の立場の保育者を責めるというハラスメントです。その攻める理由が、子どもたちが(その人たちの考えるところの)適切な姿になっていないというものです。
では、どうしたらこのようなハラスメント的な保育を乗り越えられるのでしょうか。
それを考えるには、目の前の子どもの姿がどうという前に、保育者がどういう価値観で育ってきたか、保育に向かう前に、そこを認識しなければいけません。
というのも、実はこの「二重のハラスメント構造」は、保育以前に日本のこれまでの子育てスタイルにも、大きく含まれているものなのです。ここに保育施設が、ハラスメント体質になりやすい大元の理由が隠れています。
ここを理解することで、保育施設の健全化のヒントが得られるだけでなく、子育てで悩む多くの保護者の気持ちの理解を深めることにつながります。
次回はそこを見ていきましょう。
プロフィール
保育士おとーちゃん(須賀義一)
1974年生まれ。大学卒業後、男性としてはまだ珍しかった保育士(当時は保父)資格を取得する。
2009年、保育士としての経験などを元にブログ『保育士おとーちゃんの子育て日記』を開設。
現代の子育てに合った具体的な関わり方を伝えつつ、多くの人からの子育ての悩み相談にも応える。
著書に『保育士おとーちゃんの「叱らなくていい子育て」』『保育士おとーちゃんの「心がラクになる子育て」』(ともにPHP研究所)など。
東京都江戸川区出身、墨田区在住。一男一女の父親。