保育士おとーちゃんの「保育の力って何だろう?」 2018年03月06日

「子供を尊重する」ってどういうことなんだろう?

保育士おとーちゃんの「保育の力」って何だろう?


いま、子育てに一生懸命なお父さん、お母さんがおちいりやすいのが、子供の「いいなり」になってしまう関わりです。
「子供を尊重することは大切だから、子供が要求したことはできるだけ叶えなければいけない」
漠然とそのようにとらえていて、子供のいいなりになることを積み重ねてしまい、あとあと大変な子育てになってしまう人は少なくありません。

「子供を尊重する」ってどういうことなんだろう?
一方で、保育士の方は、
「子供のいいなりになることは、子供の尊重とはちょっと違うよなぁ」
と違和感を感じていると思います。

それでは、いったい「子供の尊重」とは、どんなことなのでしょう。
言葉としては当たり前のように使われながら、保育実践のなかでは、具体的にどうすることなのか、いまいちつかみにくいところは、前回の「子供の人権」のお話と似ていますね。

今回は、この「子供の尊重」について考えていきます。

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子供を下にみても、上に見てもいけない



「子供の尊重」のとらえ方にもふたつの方向があります。
子供を上にみるか下に見るか、という方向です。
でも、このどちらにしても、実はあまりよいかかわりとはいえません。


子供を下に見る 端的な例が体罰



まずひとつは、子供を下にみてしまうものからお話ししますね。

かつての日本社会においては、子供と女性は男性に従属すべきものと考えられ、下に見られていました。(ちなみに日本で女性に選挙権が与えられたのは、男性に遅れること約55年、戦後 の1945年のことです)

こうした流れがありますので、ともすると子供は簡単に大人以下の存在とみなされてしまいます。
例えば、端的なものには体罰があります。

「子供は言ってもわからないものだから叩いてしつけるのだ」

といった言葉が、悲しいことに今でも聞かれますが、これらは子供を下にみる意識から導き出されているものです。
これは子供を尊重することが、当然のように求められている現代においてありえないことです。


「子供を尊重しなければ、でもどうすれば?」が結果的に子供を上にみてしまう



さて、それに対して もう一つは子供を上にみてしまうものです。

これは、子供のいいなりになる関わりがその代表的なものでしょう。
しかし、むしろこういった子供へのアプローチのあり方は、「子供を上にみよう」と意識してやっているというよりも、「子供を尊重しなければならないことは理解している、でもそのためにはどうすればいいかわからない」といったある種の混乱が行き着かせている落としどころに、いいなりやそれに類する大人の関わりがあるような気がします。
この状況が、親としての一般の人だけでなく、保育者にも同様にあるのを感じます。
具体的には、次のような場面です。


給食で毎回好きな場所に座らせるのは「子供の尊重」?



ある保育園で、2歳児クラスの食事の時間のことです。
子供たちの食事をする席が決まっておらず、毎日自由に好きな場所に座らせているということでした。
どうしてそうしているのですか?と訪ねると、「子供の意思を尊重してそうしています」とそこの職員は答えました。
ここでは、「子供の意見を聞き入れること」=「子供の尊重」ととらえているわけですね。しかし、これは必ずしも適切な「子供の尊重」の理解ではありません。

少しケースを変えて考えてみます。
仮に子供が病気にかかり、それを直す薬が大変苦いものだったとしましょう。
子供がその薬を苦いから飲まないと言ったとき、「はい、じゃあ飲まないでいいですよ」というのが果たして子供の尊重になるでしょうか?
なりませんよね。

子供はひとりの人間であり、存在としては大人と対等ではあるけれど、大人の保護や導きが必要とされる存在ですので、なんでも子供の思い通りにすることが「子供の尊重」ではありません。


子供を尊重するには、子供にとって「必要なことという視点」を持とう



ここに、子供の尊重を考えるときに必要なことが見えてきます。
それは、大人と子供の立ち位置の問題です。
大人が子供の生活や成長のために必要と判断されるときは、子供の意思よりもそれを優先することがありえるのです。

僕はこれを、「必要なことという視点」と呼んでいます。
「子供のために必要なことだから」と合理的な判断を大人が下せるときは、そちらを堂々と優先させていいのです。

いまの薬の例で言えば、「健康のために必要。だから子供には我慢して飲んでもらう」と考えられます。

食事の席のケースで考えれば、「子供の生活習慣の獲得や、食事への集中、情緒の安定、安心を形成するために、固定した席に座って食べることが必要」と考えられるわけですね。
今回のポイントのひとつが、この「必要なことという視点」でした。


尊重は、相互的であって初めて成り立つ。一方が我慢するだけでは×



もうひとつ大切なポイントがあります。
それは、尊重というのは相互であってはじめて成り立つということです。
先ほどのケースのように子供の希望を叶えたり、意思・要求を聞き入れることを尊重と考えてしまう傾向が一般にはあるようです。
このとき、無意識に「自分が自己犠牲をしてでも」と考えてしまう人は大変多いです。

「自分が我慢をすること、それが相手を尊重することなのだ」
といった意識を持っているということです。

この認識は間違っています。
それでは、一方がわがままになり、一方は疲弊していくことになります。
これを子育てや保育として続けていっても、結局うまくいきません。
「相手を尊重する」というのは、同時に「自分も尊重してもらう」という視点が欠かせません。

保育においては、自分や、周囲の都合もその子供に伝えて、その子自身に考えさせることが、実はその子を尊重しているということになります。


尊重とは、お互いが尊重される関係になって、はじめて成り立つもの



例えば、大人同士がなにか会話をしているところで、周りで子供が騒いでいたとき。
その子供が騒いでいるのを「我慢すること」がその子への尊重なのではなく、「いま私たちは大事なお話をしているので、ここでは静かに過ごして下さい」とその子に伝えることが、本当にその子を尊重しているということです。

それで、子供がすぐに静かになる、というものでもないかもしれません、しかし、それをその子が考えて「理解していくことができる」と信じることも、またその子への尊重につながるのです。

このときの対応は、子供を上に見ているわけでも下に見ているわけでもありません、大人である自分と対等の存在として尊重できているからこそ、堂々と必要なことを伝えられているわけです。

このように、「尊重とはお互いが尊重される関係になってはじめて成り立つ」このことが、もう一つの大切なポイントなのです。


プロフィール


保育士おとーちゃん(須賀義一)

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1974年生まれ。大学卒業後、男性としてはまだ珍しかった保育士(当時は保父)資格を取得する。
2009年、保育士としての経験などを元にブログ『保育士おとーちゃんの子育て日記』を開設。

現代の子育てに合った具体的な関わり方を伝えつつ、多くの人からの子育ての悩み相談にも応える。

著書に『保育士おとーちゃんの「叱らなくていい子育て」』『保育士おとーちゃんの「心がラクになる子育て」』(ともにPHP研究所)など。

東京都江戸川区出身、墨田区在住。一男一女の父親。

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